「グランシップ静岡能~雛の宴~」出演/宝生流宗家 宝生和英さん 大倉流小鼓方宗家・人間国宝 大倉源次郎さん スペシャルインタビュー
2026年3月14日(土)「グランシップ静岡能~雛の宴~」に出演する、宝生流第二十代宗家・宝生和英さん、大倉流小鼓方十六世宗家/人間国宝 大倉源次郎さんのスペシャルインタビュー
“最大瞬間風速”を舞台に刻む。その更新こそ継承になる。 宝生流第二十代宗家 宝生和英
能楽は、自分だけの気づきを見つけた瞬間が面白い。 大倉流小鼓方十六世宗家/人間国宝 大倉源次郎
「能楽堂ではできない、グランシップでしかできない舞台」をコンセプトに、グランシップと共に挑戦的な能公演や次世代へのアプローチに取り組んできた宝生流宗家・宝生和英さんと、大倉流宗家で人間国宝の大倉源次郎さん。3月14日の「グランシップ静岡能~雛の宴~」を前に、これまでの取り組みや、お二人の能楽への思い、そして今回の特別公演の魅力を聞きました。
―宗家は、毎回さまざまなテーマで「グランシップ静岡能」を展開してこられました。その切り口や仕掛けを考えるとき、何を大事にしてきましたか。
(宝生) 前提として、能楽は本来、能楽堂で観るものです。では、グランシップで能楽を観る必要があるのか。そこがスタートでした。だとすれば、“グランシップでしか観られない舞台”をお見せしなくてはならない。グランシップの皆さんと話し合いながら、ホールの特色や舞台スタッフの技術力、静岡という土地の魅力を生かし、能楽堂ではできない試みを大事にしてきました。
―「なぜ今それを上演するのか」という視点も大切にしている印象があります。
(宝生) これは持論ですが、伝統は結果論だと思っています。その時代に必要とされたものが結果として残ったということ。だから、残そうと思って動いたことは一度もありません。現代の人たちに対して能楽で貢献できること、その“最大瞬間風速”を意識して動いています。知らない過去よりも、自分が知っている「今」を重視して企画を組んでいますね。
―「グランシップ静岡能」で特に印象に残っている公演はありますか。
(宝生) 幾つかありますが、徳川家康公顕彰四百年の年に上演した「八島(やしま)」です。家康公の150年忌・200年忌に江戸城で演能されたことにちなみ、江戸城の図面を舞台に吊った紗幕に映し、幕が下りて舞台が立ち上がり、当時の江戸城にタイムスリップするような仕掛けにしました。グランシップ精鋭の舞台スタッフが一丸となって準備してくださり、「グランシップ静岡能」のブランディングにもつながったと感じています。
―2023年の「グランシップ伝統芸能普及プログラム」では、静岡県立大学の学生たちに、東アジアの視座で能楽を語られましたね。
(宝生) 日本の芸能の基礎となるものがシルクロードから伝わり、アジアの要素が息づいていることを話しました。辿ればインドやイスラムにもつながり、僕の中で曲の舞台の多くのイメージが日本ではないですね。「杜若(かきつばた)」はフィレンツェ、「邯鄲(かんたん)」ならアラブをイメージして舞うこともある。能楽は押しつけるものではなくて、もっと自由であるべきだと思います。
―大倉先生は長年、静岡大学教育学部の学生たちに、体験型の能楽を指導されてきました。
(大倉) 教育現場では、“勉強としての能楽”を教えようとするばかり、面白さも押し付けられてしまいがちです。すると子どもたちは、勉強を通してしか能楽を見られなくなる。体験型の能楽講座が各地の学校で行われていますが、実際に能楽を観て、自分なりの面白さを理解して、子どもたちに体験させられる教師は不足しています。ですから「知識よりもまず感じてみよう」と学生たちに伝えています。
12月には、静岡大学の原瑠璃彦先生の授業で指導します。原先生は、庭園研究を通して日本文化を伝える方で、庭巡りは自分の感性で気づくから面白いと言います。能楽鑑賞も似ていて、気づきを見つけた瞬間が面白い。世阿弥の「秘すれば花(※)」に通じますね。
※世阿弥『風姿花伝』より。観客は予想外に心動かされるものであり、先を読ませない工夫こそ芸であると説いた。
―3月14日の「グランシップ静岡能~雛の宴~」の見どころはどこですか。
(大倉) 「雛の宴」はこれまで、五人囃子の演奏で、華やかにひなまつりをお祝いする演奏会でしたが、今回は舞が加わり完全な能楽となりますので、音楽(五人囃子)と舞との一体感に注目していただきたいですね。曲目は「西王母(せいおうぼ)」。桃の節句にふさわしい曲です。五人囃子の解説や囃子体験など、一歩踏み込んで感じていただける企画も用意しています。
―宗家からも「西王母」の魅力をお願いします。
(宝生) 僕は人間をテーマにした曲が好きで、神仏の力にまつわるご都合主義の曲は好みではないんです。ただ、それをどう面白くするかに惹かれます。今回の魅力は世界観。西王母をキャラクターとしてどう見せるか。中国では荒神説もある。優しい女神像だけでなく、鬼子母神の要素も重ねることで、生きた存在として立ち上げたいですね。
―今回は、ご子息の寶生知(とも)永(はる)さんが子方として出演されます。
宝生 僕も子方で「西王母」に出ましたが、感慨よりは緊張ですね(笑)。でも、お客さまが親子共演を楽しんでくださるなら嬉しいです。
―近年、幅広い分野で活躍されています。能楽の未来を見据えての活動ですか。
(宝生) 全く見据えていないです。その企画が楽しいかを大事にしているだけ。僕は能楽師の活動だけでは生きていけない性格で、色々な分野からの刺激が結果として自身の能楽に生きるタイプ。映像や漫画の監修では、編集の領域にも踏み込みました。ロールプレイングのように、異分野を仮想体験すると新しい自分が見えるし、本業にも還元されます。
―異分野での経験は、役作りでの“憑依”にも役立ちますか。
(宝生) 役は“憑依”ではなく器。型という器に自分の個を流し込み、押し込んでもあふれでたものが本当の“花”だと思います。そこが能楽師の魅力です。単に型をなぞるだけでは継承ではなく、劣化コピー。大切なのは、内からどんな“花”が溢れるか。自分の最大瞬間風速を舞台に刻めば、次世代が挑み、更新していく。その歴史の積み重ねこそが、700年に渡り能楽をつないできたのだと思います。
―お二人の話を聞くと、能楽が身近に感じられます。
(大倉) 身近に感じていただけたなら良かった。能楽が面白いのは、能面と装束が魂を解放する仕掛けになっていることです。例えば、ミュージカル「美女と野獣」は、ベル役と野獣役の俳優の入れ替えができませんが、能楽師は能面と装束さえ替えれば、役を変えられる。それは、心を演じる芝居だから。だからこそ、エネルギーを自分のものにしている舞台は面白いのです。
(宝生) 大倉先生には失礼ですが、シテ方は業の塊なんです。かつて、大ベテランのシテ方と共演した時、その方は若手の僕にも舞台上で徹底的に勝負を挑んできました。それほどシテ方は自分が一番なんです。そんな状況でも萎縮せず、一緒に舞台を創ることができる囃子方はありがたいです。大倉先生は全体を見てコントロールしてくれるので安心感があります。僕はいわば、釈迦の手の平にいる孫悟空。安心して思い切り飛ばせてくれる存在です。
宝生和英 宝生流第二十代宗家
1986年東京生まれ。1991年「西王母」子方で初舞台。2008年に宝生流第二十代宗家を継承。「鷺」「乱」「道成寺」ほか、一子相伝曲を披く。朗読を取り入れた新たな能公演「夜能」や、Disney+「SHOGUN将軍」、少年サンデー「シテの花」監修など活動は多彩。2026年には東京国立博物館「百万石!加賀前田家」展関連の能公演にも出演予定。2023年度ミラノ大学客員教授。
大倉源次郎 大倉流小鼓方十六世宗家・人間国宝
1957年大阪生まれ。父・十五世大倉長十郎に師事し、1965年「鮎之段」で初舞台。1985年に大倉流小鼓方十六世宗家を継承。新作能・復曲能にも数多く参加し、能楽DVD「大和秦曲抄」「五体風体」を制作。大阪市咲くやこの花賞、観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞。2017年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。(公社)能楽協会理事、「能楽座」座員。