北村 英治/ジャズ・クラリネット奏者

北村 英治(きたむら えいじ)さん
シャドウ・クラリネットの頃。
「竹箒を切って、焼け火箸でキーの印をつけて、目をつぶって吹いているといい気持ちになる。音が出ているつもり。お客さんがいるつもり。シャドウ・クラリネットですね。そういう時期が随分長くありました。」
NYの摩天楼が見えた!
氏の話の向こう側にはいつも友人、仲間の笑顔が見え隠れしている。その輪の真ん中でニコニコとクラリネットを手にしている氏の姿が見える。やわらかく豊かな楽器の音色は、そのまま氏の人柄。半世紀以上も前の体験も、ついこの間のエピソードも、氏が語れば幸せな話になるから不思議だ。逆境から楽しみを呼び込む術もまさに天性。それにしてもこの色つや、この闊達さで御年八十歳とは…! そこが唯一、信じ難いところではある。
- ――今年はちょうどベニー・グッドマン生誕一〇〇年にあたりますが、ご自身がクラリネットを手にされたきっかけこそベニー・グッドマンだったとうかがっています。
- 「そうなんです。十四歳の時でした。ある日、家に見慣れない小さなレコードを見つけたんですね。たぶん兄貴がこっそり買ったものだったと思うんですけど、何だろうと思ってかけてみた。するとそれは聴いたこともない音楽だったんです。わが家は厳格というか、いわゆる流行り歌は御法度、子どもはクラシック以外は聴いちゃいけない家でしたから、いやあ、驚きました。目をつぶって聴いていると、自分が行ったこともない、でも、絵葉書では見たことのあるニューヨークの摩天楼がパッと現れたんです。あらためてレコードを見ると、ベニー・グッドマン・オーケストラドント・ビー・ザット・ウェイと読める。さらに左肩にフォックス・トロットとあって、今ならそれがステップの種類で、ダンスのために輸入されたものだとわかるんですけど、当時はそんなこと知りませんからね。学校で友達に得意げにしゃべった際、どんな音楽だと聞かれて、フォックス・トロットだって。(笑) 聴いてるとアメリカの景色が見えてきて、金髪の美人まで通りかかるぞと。それはもう自慢ですよ。」
- ――でも、当時、それは敵国の音楽にあたるものではなかったのですか。
- 「だから、大変ですよ。家に友達をよんで聴いていると、母親が今、アメリカと戦争をしてるんだから、そんな音楽を聴いていると憲兵に連れて行かれるというわけです。それでみんな押し入れに入れられまして。電蓄ではなく、手回しのポータブルを持ち込んで汗をかきながら、すごい、すごいと聴いたものです。そのうち空襲で家が焼けて、ピアノもレコードも何もなくなってしまったんですけど、極東放送が始まって、憧れがまた膨らんでいくんですよ。もう、クラリネットをやりたくて、やりたくて。そんな時、金持ちの息子が進級祝いにクラリネットを買ってもらったんです。それでみんなで吹いてみろとヤキモチ半分にけしかけましてね。ところが音が出ない。じゃあ、俺が、俺がって、次々に回していくんですけど、誰も音が出せない。ところが自分のところでポッと音が出たんですよ。俺は天才かな、と思いますよね。(笑)でも、訳ありでね。リードってあるでしょう。あれが最初は乾いてたわけ。汚い話だけど、みんなの唾液のおかげで僕の番でちょうど具合よくなって、それで音が出ただけなんですけど。調子に乗ってあちこち触ってみて、ポポポポポッと吹いたら、それがミ~ドミ~ドミドミドミドと鳴って、おっ、すげぇ、北村が持った途端にセンチメンタル・ジャーニーになってるって。(笑)」
- ――運命の瞬間ですね。それでは最初にご自分のクラリネットを手に入れられた時は、その感動もひとしおでいらしたのではないですか。
- 「それはもう、ね。ただ、すぐにというわけにはいきませんでした。十八歳のその頃、親父もお袋も死んで、一番上の兄貴が会社に勤めて細々と学費を出してくれていて、そんな兄貴に最初クラリネットを買ってほしいと言ったら、冗談言うなと怒鳴られました。当然ですよね。じゃあ、どうしようかと考えて、早起きして歩けるところは歩いて、早朝割引も利用して電車賃を節約して、さらにコーヒーも我慢すれば、一年ちょっとでクラリネットの中古くらいは買えるかなと計算したんです。当時、一番安いボロボロのものでも一、三八〇円ぐらい。昔の楽隊が使わなくなったもので、壊れていないところを継ぎ合わせて、上がフランス製、下がドイツ製なんですけどね。(笑)結局買うまでに一年半ぐらいかかりましたが、その間もお金が貯まるのをただ待ってたわけじゃないんです。竹箒を切って、柄に焼け火箸でキーの印をつけて、指の位置だけ覚えちゃおうと。進駐軍放送は聞けましたし、ピアノの譜もありましたからね。目をつぶって吹いているといい気持ちになるんですね。音が出ているつもり。そこにお客さんがいるつもり。シャドウ・クラリネットですね。そういう時期が随分あって、それがかえってよかったのかなと思いますね。」
ベニーのワン・モア・タイム!
- ――プロになられたのは、慶応大学を中退されてからとうかがってますが。
「その頃は進駐軍の仕事というのがあって、楽器を持って立っているとトラックで拾ってくれたりしたんですね。拾い仕事っていうんですけど。復員してきた軍楽隊の人が多かったので怖さもありましたが、勉強にもなりましたし、結構面白がって行っていたようなところもありました。一方、大学ではライト・ミュージックという部でジャズをやっていて、僕のためにスモール・グループを作ってくれたので、それで進駐軍を回ったりもして、評判がよかったんですよ。おかげで二回もダブリましたが。(笑)そのうち南部三郎というプロの人が引き抜きに来て、プロになるなら一日でも早いほうがいい、しかも固定給三万円で20本を超えるごと一本につき千円くれるというんですね。即、お世話になった先生の許可を取りつけて、次の日からバンドマンです。」
- ――その後の活躍は多くの方が知るところですが、ベニー・グッドマンとも共演なさってますよね。
- 「幸せなことにね。ただ、こちらはビギナーですから、周りのミュージシャンのようにアガることはなかったですね。ジャム・セッションがあって、アドリブをワン・コーラスやったんです。するとベニー・グッドマンがワンモアタイム!と言うから、得意になってもうワン・コーラス吹かせてもらったんですけど、後になってそれは滅多にないことだと聞かされて。そうか、認めてくれたんだ、今まで勉強してきたことは間違いじゃなかったと。そうしたことが憧れの人に会えたこと以上に嬉かったことを覚えています。」
- ――ジャズはずっと独学でいらしたそうです
が、五〇歳を過ぎて初めて師事されたとか。
- 「五十一歳の時に、十一歳下の村井祐児に弟子入りしました。この道を拓いてくれたベニー・グッドマンをはじめ、バディ・デフランコやテディ・ウィルソンにもいろいろ教えてもらったし、若手のミュージシャンからも学ぶべきことはたくさんありますが、先生についたのはその時が初めてでした。ミュージシャンというのは、歳をとってダメになっていく人が多いんですけど、それは基礎が
ないからなんですよ。僕は基礎がないから、
これじゃダメだなと。それで顔見知りの彼が芸大の先生になったというので、半ば強引にお願いしましてね。人間五十過ぎたら進歩はないんですけどねなんて言われながらも、こちらはワクワクしてね。モーツァルトかなんかを教えてくれるのかと思ったら、『ちょうちょ』ですよ。(笑)ソミミ、ファレレ、ドレミファソソソまでに三ヵ月。ソの音の余韻でミを吹きなさいとか。なるほどと感じる点が多々ありました。クラシックとジャズは同じ楽器を使っていながら、まったく違う。だから、そこで習ったことがそのままジャズに通用するわけではないですけど、クラリネットに向かう気持ちは一層深くなりましたね。クラリネットの魅力は無限ですよ。」
- ――この秋は『コンコードスイングジャズフェスティバル』で、グランシップでは春に続いてのご登場ですが、本場のコンコードにもご出演されていますね。
- 「コンコードは非常に格調高いフェスティバルですね。さらに三大フェスティバルでは、とくに権威のあるモントレーも一九七七年から何度も呼んでいただいています。ジャズを通じて、仲間は広がっていきますし、みなさん、大事に扱ってくれてありがたいなと思いますよ。今度、グランシップで一緒にやるケン・ペプロウスキーとは会ったことがないんですけど、今年五月にベニー・グッドマンの生誕一〇〇年を記念した、バディ・デフランコ、ペプロウスキー、ボブ・ウィルバーのステージに行った人から、デフランコがよろしく言ってたよ、ウィルバーが会いたいと言ってたよ、さらにペプロウスキーも秋にエイジに会うのを楽しみにしてるって言ってたよ、という言伝をもらいました。会ったこともない人から、そんな言葉をもらえるなんて嬉しいですよね。これもジャズの良さかなと思います。ペブロウスキーはベニー・グッドマン・オーケストラにいた人ですから、こちらとしても楽しみにしているんですよ。しかも静岡はグランシップでしょう。音のことをきちんと考えられているホールなので、初めてでも安心してプレイできるホールだと思います。頑張るというよりも、めいっぱい楽しんでやりたいと思っています。」
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北村 英治プロフィール
ジャズ・クラリネット奏者。慶應大学在学中、クラリネットを学び、'51年南部三郎クインテットでデビュー、'54年自己バンドを結成。'57年来日したベニー・グッドマンとジャムセッションを行う。'77年モンタレージャズ祭に招かれ大好評を博し、連続18回と'96年に出演。以来、欧米、オーストラリア等の大ジャズ祭に出演。テディ・ウイルソン、アール・ハインズ、バディ・デフランコ、ビル・ベリー、スコット・ハミルトンら、名だたるミュージシャンと数多くの共演。'91~00年、L.A.インターナショナル・ジャズパーティをビル・ベリーと共同企画。スイングジャーナル誌では'77年度南里文雄賞受賞、楽器別人気投票でのポールウィナーは現在も続いている。レコードアルバムの数は、すでに100を超え、演奏会では暖かく深みのある音色と独特のフレーズで、聴衆の心を満たし、曲間のお喋りも人気。料理通、趣味人としても知られる。'07年旭日小綬章受章。'29年東京都生まれ。