野村 萬斎/狂言師

野村 萬斎(のむら まんさい)さん
狂言の目線。
「人間の生き様をどう映し、どう見せるか。人間を映すという意味では演劇はすべて同じだと思いますけど、狂言の場合、かなり引いて俯瞰して映す。だから物事を客観的に見られて、こいつ、しょうがねぇなぁ、というのが狂言の目線ですね」
役者の肉体を通す。
声の存在感が圧倒的だ。ご存じの通り、低く重厚感はあるが、不思議と爽やかでもある。狂言には<引きながら押す>という二律背反の発声法があるとのことだが、氏自身がまさに二律背反。凛と柔らかく、深く清々しく。舞台上の姿のごとく、その背筋は決してブレることなく、なおかつそこには常に新しい風が吹いている。だが、残念ながらそれは言葉では伝えきれない。口伝の芸能に生きる氏の魅力はやはり直に<感じる>のが一番なのだ。
- ――ときには現代劇の演者として、演出家、芸術監督としてなど、幅広くご活躍ですが、肩書きはあくまでも狂言師一つなのですね。
- 「そこは僕のこだわりで、どれが僕の一番の生業かといえば、やっぱり狂言ですから。すべてはそこから派生する演出業であり、俳優業であり、教育業であり、芸術監督業であるという感覚です。」
- ――このたびのグランシップでの公演は、観世宗家共々、ご子息との共演とのことでますます楽しみではありますが、ご自身のご幼少時代は師匠であるお父様との関係はどのようなものでしたか。
- 「最初はアメと鞭の世界ですね。お猿さん(靭猿=うつぼざる)でデビューしますから、いってみれば猿の調教と同じ。(笑) お稽古の後で必ずフルーツ等を食べる。その繰り返しです。しかも台詞があるわけではなくて、謡に合わせて飛び跳ねたりと、まあ、リトミックみたいなものですよ。初舞台などではたくさんご褒美をもらって、僕の世代でいえばウルトラ怪獣が一夜にして20体ぐらい揃うわけ。それはパラダイスですよね。(笑) でも、そのうち自我が芽生えてくると、なんで自分はこんなことをやっているんだと。台詞や動きも複雑になって、おまけに自由演技ではないのでまさに"型にはめられる"ような気がして面白くない。それよりスポーツがしたいとか、ロックをやりたいとか…。(笑)」
- ――けれども狂言師としての道を、それもご自分の意志で選ばれたとうかがっています。
- 「今回は観世の宗家とご一緒させていただくわけですが、家業としての重さは僕の場合はもう少し軽かったかなと思います。今は一つのグループのリーダーたる重責もありますが、従兄弟たちも多かったので僕がやらなくとも誰かがやればいいじゃないかと。それに今でこそ狂言は注目していただいていますが、僕が小さい頃は狂言なんて誰もわかってくれなかった。そもそも僕は自分の父親の職業を説明するのがとても嫌でした。そんな頃に某コーヒーのコマーシャルに父が出て少し気持ちが変わり、狂言についての見方、思いも変わっていったということはあると思います。」
- ――ご自身ではよく<狂言をプログラミングされた>という表現をされていますが、現在はご子息をプログラミングなさっているというところかと。
- 「ある意味、基礎に立ち返る機会になりますね。お能の場合はかなり内向きに、保守的になれる環境にありますが、狂言はお客さんの反応が直接返ってくる芸能なので、お客さんの種類に影響されがちなところがあります。笑いに来るお客さんとお能と同じように芸を観に来るお客さん、大きくこの二種類がありますが、初心者向きにやっていくほどわかりやすい芸になってしまいますし、逆に通向きにするほどわかりにくい芸になる。普及型であるとか、芸を極めるなどといった座標が出たとき、ゼロは何なんだ、我々の基礎は何なのかと基本に立ち返る機会になっているかもしれません。」
- ――そのプログラミングの方法は、やはり口伝が基本なのですか。
- 「逆に感覚は文字に表せないですね。文字にしてしまうと文字の意味しか伝えられなくなる。柔らかいけど堅い、引きながら押すというニュアンスは、文字の上ではわかりにくいでしょう。たとえば僕らの発声というのは、まさに<引きながら押す>んですね。声を出さないようにしながら最終的に声を出すんです。それをそのまま言葉として伝えても、二律背反なんだなということはなんとなくわかるけど、実際のところ身体はどういう感覚なんだということはやってみせるしかない。鷹が獲物を獲るときに手本を見せて覚えさせるのとまったく同じですね。」
- ――2、30分という狂言の上演時間と、二時間、三時間という現代劇とでは、エネルギーの配分も自ずと違ってくると思いますが。
- 「違いますね。その代わり現代劇は台本に頼れます。内容があり、ドラマがあるので忠実に演じていれば舞台が成り立つところはある。ところが狂言はある意味単純で台本を読んだだけでは、なんだ、これで終わりかと。それが役者の肉体を通すと違うものになる。そこがまさに口伝なんだと思いますが。」
DNAが反応する瞬間。
- ――狂言師に求められる最も重要な資質とは何なのでしょう。
「当然、基礎技術を持った上での話ですが、それはシチュエーションを読み取り、それを提示する力なのかなと思いますね。人間の生き様をどう映し、どういうシチュエーションでどう切って見せるかと。人間を映すという意味では演劇はすべて同じだと思いますけど、狂言の場合、かなり引いて映す。だから客観的に見られてバカだなぁと笑いとばせる。バカにするというより、こいつ、しょうがねぇなぁ、そんなもんだよね、というのが狂言の目線ですね。」
- ――史実に材を求め、登場人物が固有名詞であることの多い能にくらべて、狂言は<このあたりの者でござる>というわけで役作りは難しいように思われます。
- 「だからこそ人間を勉強しないと。そういう意味では狂言師は人間観察が重要ですね。例えば、失恋した女性のことをお能的発想ではその心情にミクロ的にスポットをあてて、当人の悲劇的な思いを量るわけです。狂言的な発想にすると、あんな男にだまされて。でもそういうこともあるよねという風になるわけです。まあ、これがお能と狂言の違いの適切な説明かどうか、わかりませんが。(笑)」
- ――初舞台から40年。狂言師になってよかったと思われる瞬間とはどのようなときですか。
- 「それは『翁』や『三番叟』などのある限られた曲、それも狂言の家の子でなければなかなか演るチャンスがない曲ではやっぱり晴れがましく、しかもそれを得意とする思いがあればなおさらですね。お芝居の上手い人、演劇的に演じることの上手い人というのは当然出てくるわけですが、『三番叟』のような根源的な芸の、まさしく600年間のDNAが脈々と続いているような曲では、そのDNAが反応するごとくの瞬間があって確かに"何か"を感じます。」
- ――少し前までは狂言のお客様は能のお客様でした。それが今では狂言を観にいらっしゃる。このことについてどのようにお考えですか。
- 「昔は<三年片頬>といって侍は三年に一度頬がゆるめばいいといわれたほど、笑うことはふしだらであるという風潮がありました。そういう名残で笑いが一段低く見られていた時代があったことは確かです。ところが今やお笑い芸人がどんなタレントよりも高額なギャラをもらう時代ですから。笑いの復権がまさに狂言の地位を向上させたと思いますよ。けれども、僕らは笑わせるためだけに狂言をやっているわけじゃない。そこにはお能と一緒にやってきた芸の力があり、あくまでも美的な観念の中で笑いを扱ってきたわけですから。ただ爆笑するだけだったらテレビを見ていればいい。ある人間の営みを美しく描いていて、なおかつ面白く、可笑しいというのが僕らの狂言の大事な根幹ですから。最近は狂言だけの会もありますが、ときには兄弟のように育ってきた芸能であるという意味で、お能と一緒にご覧いただくほうが望ましい場合もあると思います。」
- ――このたびの演目は『蝸牛』ですが。
- 「これは狂言でなければ演れない曲ですね。山伏をうっかりカタツムリに間違えちゃったと、ただそれだけの話なのに30分近く、あれだけナンセンスで楽しく、しかも歌謡性、舞踊性もある。まさに狂言ならではの演劇性です。荒唐無稽で突き抜けちゃっている。理詰めでないから、舞ったり、囃し立てたりという芸能の楽しさが凝縮されている曲ですのでぜひ、お楽しみいただきたいと思います。」
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野村 萬斎プロフィール
狂言師。重要無形文化財総合指定者。祖父・故六世野村万蔵、父・野村万作に師事。3歳『靱猿』で初舞台。東京芸術大学音楽学部卒業。「万作の会」での公演活動のほか、「狂言ござる乃座」を主宰。国内外で多数の狂言・能公演に参加、普及に貢献する一方、現代劇や映画・テレビドラマの主演、舞台『敦―山月記・名人伝―』『国盗人』など古典の技法を駆使した作品の演出、NHK『にほんごであそぼ』に出演するなど幅広く活躍。各分野で非凡さを発揮し、狂言の認知度向上に大きく貢献。1994年文化庁芸術家在外研修制度により渡英。芸術祭新人賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、朝日舞台芸術賞、紀伊國屋演劇賞等を受賞。2002年より世田谷パブリックシアター芸術監督。著書に『狂言サイボーグ』『What is 狂言?』『MANSAI◎解体新書』など。1966年東京生まれ。