福田 進一/ギタリスト

「SERIESわが羅針」Web版。ゲストの方に様々なお話を伺います。

ギタリスト

第38回

福田 進一(ふくだ しんいち)さん

親密なる楽器。

「ギタリストは楽器を抱え込んで音の出るところを体を密着させて演奏する。実にインティメイトで、プライベートな楽器です。裏を返せば、自分の音を客観的に聴くことはできない。舞台からアピールすることがヘタクソな楽器なんです。」

その音色にシンパシー。

今日ヨーロッパのある国で芳醇な音色を聴かせていたかと思えば、翌日はアジアの音楽大学で指導者としての顔を見せている。また、幾つものプロジェクトに参画しながら、未踏の地を拓いていくことも忘れないーー「常に眼の前に人参があるから、モチベーションが保たれる」と氏は笑う。四半世紀の間に五十枚のアルバムを発表。目標は生涯100枚。いったい幾つの、そして、どれほど大きな人参が氏の眼の前にあるのだろうか。

――エレキギター全盛の少年時代にあって、クラシックギターとはどのような出会いがあったのでしょうか。
「僕がギターを始めたのは一九六六年頃。ビートルズが初来日をして、グループサウンズが流行っていて、フォークもそろそろ流行り出すという、確かにそういう時代でした。当時、僕は親の見栄もあって(笑)、ピアノ教室に通っていたんですけど、それがどうもお稽古ごとという感じでね。おまけに男の子は一人だけ。まわりには年下の女の子がいたりして面白くないわけです。そんなある日、ギターを習いたいと言ったら、父親がウクレレを買ってきた。しばらくはそれを弾いていたけれども、あれは四本弦ですから半年ほどで飽きちゃって、結局、ピアノ教室の二階にあったギター教室に、簡単にいうと引っ越したんです。そこにいらした斎藤(達也)先生には以来ずっと師事するわけですが、フォークギターにしろ、エレキギターにしろ、まずはクラシックギターをやっておくのがいいという先生の方針で、とにかくクラシックの弾き方を勉強することになったんです。」
――当時、ギターのどんなところに惹かれたのでしょう。
 「音色でしょうか。ピアノのように大きな音は出ませんけれども、シンパシーは感じましたね。すぐにのめり込んでーーとはいっても、そんなに勤勉な生徒ではなかったです。ギターにもピアノのバイエルのようにカルカッシという教則本があるんですが、これがなかなか進まない。半年で数ページがやっと。それが中学二、三年の頃、何かのきっかけで突然、他の人のレベルを飛び越えたものが弾けるようになったんですけれども。」
――では、ギターでいこうということは、早くから決めていらしたのですか。
「十四歳のとき、日本人で初めてパリの国際ギターコンクールで優勝された渡辺範彦さんの凱旋公演に行ったんです。渡辺さんが二十二歳ぐらい、大阪厚生年金会館での演奏会でした。それを聞いて、こういう人になりたい、パリに行きたいと。高校三年から大学一年の間に国内コンクールで上位入賞するようになってからは、親も納得したようです。ただ音楽大学に、とは思わなかった。当時、日本では初めてのギター講師として渡辺範彦さんが上野学園大学で教えてらっしゃったんですけど、女子大でしたから。(笑) じゃあ、外国に行くしかしょうがないなと。」
――そして、十一年後、ご自身がパリで優勝されるわけですね。
「そうなんです。当時、パリにギター音楽の頂点がありまして、世界中の名手がパリに集まっていたんですね。ちょうど世界の名ピアニストがショパンコンクールでポーランドに、チャイコフスキーコンクールでロシアに集まるような感じで。」
――頂点のパリに行かれて、戸惑われることはなかったのでしょうか。
「なにしろ大阪のど真ん中の小さな楽器屋さんで習った経験しかなかったものですから、自分が音楽学校の生徒になったことが素直に嬉しかったし、そもそも次から次へと課題をこなすことで精一杯。思い返せばパリで優勝するまでの四,五年は僕には快適で、やることがすべてうまくいって、卒業まであっという間でした。それは斎藤先生の教育がすごくよかったからだと思います。音楽的なことを先に教えてくださったので、弾くことが後からついて来るという感じでした。むしろ優勝した後のほうが大変で、燃え尽き症候群というか、どう生きていくか、どんな風に演奏活動をしていくべきか、迷っている時代が二、三年ありました。」

時代の楽器を使うということ。

――最近、『アーリーワークス』として、初期の演奏を集めたアルバムをリリースされていますが、当時の演奏をどのようにお感じになりますか。
「音も写真のスナップとほとんど同じですよ。やっぱり若い頃はよかったと思います。みんなは慰めに“年がいってよくなった”と言いますが(笑)、 若い頃の音を聞くと、失ったものがたくさんあるなと。もちろん今の自分に満足してはいますよ。酒の熟成のように急ぎすぎてもいけないし、途中で止まってしまってもいけない。獲れたての果実のシュワッというのもいいし、放っておいたみかんもうまいなと。(笑)」
――華麗なギター遍歴をお持ちで、これまでに手にしたギターは二十本以上とか。
「逆にいうと、あまりこだわってないからでしょうね。どんな楽器を使っても僕の音が出ると思っていますから。楽器を替えても、衣裳が変わっただけで中身は変わらない。どんなにいい楽器でも、音楽がダメだったらダメですから。楽器に助けられることは一切ありません。いい楽器とは恐ろしいもので、ヘタクソな人が使うとヘタななりに出る。それよりもそのときの自分に合った楽器を使う、というのが僕のポリシーですね。そして、もう一つ、時代によって変えるということ。音楽というのはある種のお芝居で,台本があって、いろんな時代の背景がある。だからお芝居によって衣裳が代わるように、僕は楽器を変えるわけです。大抵のクラシック音楽は江戸時代に書かれていますが、侍の時代に書かれた音楽に背広の楽器はおかしい。つまりその時代の楽器を使う、というのが僕の発想です。」
――その時代楽器の一つとして、ヴァイオリンで有名なガダニーニのギターをお持ちだそうですが、名器といわれるものはヴァイオリン同様、やはり自分の音になるまでに時間がかかるのでしょうか。
「ものすごく時間がかかります。すぐには仲良くなれないですね。ただ、よくヴァイオリンと比べられますが、ヴァイオリンは1500年代の終わりから今日まで絶えず考え抜かれてきて、一本の形が大きく変わらずに変化している楽器なんです。ところがギターの原型はヴァイオリンよりも前に生まれていたのにも関わらず、時代の求める音が変わったり、職人が絶えたりしたこともあって、その都度変わっているだけで未だ一つの形にはたどり着いていない。これから進化していく楽器だと僕は思っています。」
――演奏者にとってギターならではの魅力とは何でしょうか。
「ギタリストは楽器を抱え込んで演奏しますよね。音の出るところを体に密着させて、振動もすべて受けとめて演奏している。ここがほかの楽器と違うところです。だから、ギターという楽器は、四畳半位の部屋で一人、楽器と向かい合ってポロポロと弾いているのが一番気持ちいいんですよ。実にインティメイトであり、プライベートな楽器で、演奏者と楽器が直に対話できる。これがギターの素晴らしいところです。しかし、裏を返せば、自分の音を客観的に聴くことはできない。舞台からお客さんにアピールすることがヘタクソな楽器であるともいえます。そこがギタリストにとって一番の課題であり、大事な部分なんですけれど。」
――今年度は、グランシップのアウトリーチ事業の一貫として、高校のクラシックギター部をご指導いただけるとのことですが、現在、海外の大学でもマスタークラスを持たれているご自身の眼から、日本のギターレベルをどのようにご覧になっていますか。
「アジアの中で日本はアベレージは高いと思いますが、たとえば中国はスキルと集中力がありますね。一方、韓国の子はスキルでは日本や中国に及びませんが、とにかく質問が多い。これも大事なことです。また、日本やアメリカの子は指導者に逆らったりしませんが、フランスでは信じられないほど逆らいます。私はこう弾きたいという。僕としては、何をぬかしておるんじゃと。(笑) だからといって全く言うことをきかないわけではなくて、ロジックできちんとねじ伏せればいいんですけれどね。」
――そして、五月にはヴァイオリンの森下幸路さんとのコンサートが楽しみですが。
「森下さんは一本ピッと筋の通った人で、音楽の方向がハッキリしているのでとてもやりやすいですよ。ぜひ、楽しい演奏会にしたいと思います。とにかく日本のお客さんは知っている曲が好きで、『運命』とか、『田園』とか、定食があると安心する。でも、ヴァイオリンと違って、ギター曲ってあまり知らないでしょう。定食でいえば、『アルハンブラの思い出』と『禁じられた遊び』『アランフェス協奏曲』『アストリアス』ぐらい。これを外したらダメだといわれますが、僕としてはこれをなんとか打ち破りたい。“初めて聴く曲ばかりだけど、素敵なメロディに出会った”と、そんな風に言われたら嬉しいですね。」
グランシップマガジン G.[ジー] WEB版 SERIESわが羅針

福田 進一プロフィール

ギタリスト。パリ・エコール・ノルマル音楽院でアルベルト・ポンセに師事し、首席で卒業。イタリア・キジアーナ音楽院ではオスカー・ギリアに学び、最優秀ディプロマを取得。81年パリ国際ギターコンクール優勝。以後、内外の賞歴を重ねるとともに、国際的な演奏活動を展開。近年では、2004年、武満徹のギター協奏曲をアテネ市交響楽団と共演したのを皮切りに、中南米、北欧、西欧、アジアの世界12カ国で演奏。また、教育活動にも力を注ぎ、その門下から鈴木大介、村治佳織、大萩康司らを輩出。現在はミュンスター音楽院(ドイツ)、モーリス・ラヴェル音楽院(パリ)、ノースウェスタン音楽院(USA)、上海音楽院(中国)など、世界各地の音楽院のギター科に客員教授として招かれ、マスタークラスを受け持っている。すでに約50枚のCDをリリース。2002年のCD『セビリア風幻想曲』で第58回文化庁芸術祭賞レコード部門優秀賞を受賞。また、07年に平成19年度外務大臣表彰を受けた。1955年大阪生まれ。