イッセー尾形/役者

「SERIESわが羅針」Web版。ゲストの方に様々なお話を伺います。

役者

第35回

イッセー尾形(いっせーおがた)さん

限界の淵を歩く。

「大丈夫、他人になれると楽屋で暗示にかけたり。
そうして自分の思考の限界を飛び越える。
やっぱりそこが楽しいかなと。
なんで二十何年もやっているのかと考えれば、
限界の淵を歩く。これがたまらなく好きなんだなと思います。」

リアクションが創る芝居。

他人となじむのは苦手。そう語る氏の肉体を借りて、ステージの上にさまざまな他人が現れる。ギリギリの淵で他人に憑依されるのか、あるいは憑依するのか。「外に現れたものを演じるのが役者の仕事」といい、しゃべり方、歩き方を入口に、氏は想像の世界から創造の世界へと見知らぬ人間を送り込む。氏はどんな他人にもなれる。だが、こちらは次々と現れる彼らに翻弄されるあまり、誰もイッセー尾形にはなれないのだ。

――一人芝居26年、ネタ数は400を超えるとうかがっています。白い布だけのステージ、舞台袖での着替えやメイク、また、その様子までも観客に見せるというスタイルは変わりませんね。
「一人で何役かを演じる際、最初は一旦引っ込んでやろうとも思ったんです。でも、当時は背広を白衣に着替えるだけ、あるいはネクタイを蝶ネクタイに、七三をオールバックにするだけという、非常に短い時間の取っ替え引っ替えだったので、じゃあ、わざわざ後ろへ行くよりはちょっと離れたところですぐに戻ってこようと。要するに必要が生んだスタイルだったんですね。お客さんにしても実は観なくてもいいところだし、僕も完璧にオフになってる。まあ、僕の芝居はずっとオフといえばオフだけど。どうやら役にのめり込むとか、そういうタイプじゃないらしいんですよね。外見は整えますけれど、それをコントロールする自分というのは素でいるわけです。」
――ステージを拝見すると、受け答えにこそ、その人が現れるものだということがよくわかります。
「役者の仕事は何かというと、外に現れたものを演ずる仕事ですからね。もちろん外面、内面と分ける作業は、一回棚上げしておくんですけど。人物が違えば、明らかにしゃべり方は違う。使っている語彙も、相づちの打ち方、タイミングも違ってきます。それで僕の芝居の99%は、リアクションでしゃべったり、その動作で成り立っている。つまり一人芝居とはいえ、全部相手ありきで創っているんです。だから、頭の中でリアクション大会をするわけですよ。僕も会ったことのない人物、この人のリアクションはどうなんだろうとね。もちろん限界はあります。だって、自分じゃないんだもの。じゃあ、その人はどこにいるんだというと、それは自分の中にしかいないんだけれども。本番前、限界のところを歩いていて、なんとかそこを飛び越えたいと思うわけ。それで大丈夫、他人になれるんだと、楽屋なんかで自分で暗示にかけたりしてね。そういう自分の思考の限界を飛び越える、暗示にかける。まあ、この辺の領域になると、本番でしかやりませんけれども、やっぱりそこが楽しいかなと。なんで二十何年もやっているのかと考えれば、森田(雄三氏/演出家)との相性がいいだの、芝居が好きだのというのもあるけれど、限界の淵を歩く。これがたまらなく好きなんだな、楽しいんだなと思います。」
――たとえば『ステーキ屋』というお芝居では、ミーティングの様子が描かれていて、内容はフィクションであっても、入り口はとてもリアルです。
「たぶん(目の真横を指して)このあたりで見ているんでしょう。自分の中に全然ないものじゃないんです。視界の隅にあったものをグーッと眼の前に持ってくる。それが作品づくり、創作なんですね。それは僕なりの中心への引き寄せ方で、ステーキ屋さんを面白がったわけじゃなくて、ステーキ屋さんのミーティングにしたところがマイ創作だと思うんです。」
――台詞はきっちり作り込まれるのですか。
「今まではね。今回から変えたんですよ。初めてパソコンから離れて、台本を作らなかった。メモ書きだけ。台本を作ると、覚えなきゃいけないという作業があって、これが長年嫌でね。(笑) 創るときは楽しいのさ。ワイワイやって。で、明日本番というとき、覚えなきゃいけないじゃない。」
――ということは、台詞を前の日まで固めないということですか。
「そう。面白いものは直前まで思いつくからしょうがない。たとえば1週間前に完成しちゃって、1週間かけて覚えても、その間にまた面白いことを思いついちゃうんですよ。そうすると書き直しでしょ。だったら前の日でいいと。だから、一番憎んでいた学生時代の一夜漬けのようなことを何故やらなきゃいけないのかと思いつつ、二十何年やってたの。でも、今回は台詞を覚えるという一番の苦労から逃れてみたんですよ。すると、毎回新鮮にできる。しかも覚えるという溝がないから、創っているときとステージの瞬間がダイレクトにつながっているという感じがしますね。」
――ただ、パソコンから離れてしまうと、先ほどおっしゃった台詞を創る楽しさは半減しませんか?
「台詞そのものを創り込むのが楽しかったわけじゃなくて、考えることが楽しかったわけだから。今回はそれを確認できました。」

逆ルネッサンス。

――以前は“おじさん”を演じることが圧倒的でしたが、最近は若者も登場します。それはご自身の意識がよりカルチャーギャップのあるほうへと向かわれているということでしょうか。
「みたいですね。興味という言葉よりも、気になるものかな。今、簡単に“うぜー”っていいますけど、それは気になるから“うぜー”わけですよ。視野の外に出そうとしてるわけです。僕だって、若いとき、おじさんに特別興味があったわけじゃないですけれども、建設現場に行けば年配の方達ばっかりだし、テレビ局に行けば年配のサラリーマンだったりしましたから、嫌でも直面してしまう。そうした自分のレンズに第1次に飛び込んできた人々をネタにしていただけなんですけれども。それが今、第1次に飛び込んでくるのが若者だったり、女性だったり、老人だったり、アーティストだったりするわけです。」
――そうした人物像を日頃からストックしてらっしゃるのですか。
「いやいや。元来の怠け者というのがありましてね。日頃はぼんやりしてますよ。それが、さあ、そろそろ本番だぞ、ぼんやりしてる場合じゃないぞということで、果して自分が何を面白がっているのかをあらためて考えるわけですが、自分が面白がっているモノって、実は自分ではわからないわけですよ。自分がある人物を面白がっているとして、今度はそれを演じようとするとき、面白いと思ったんだから面白くなるはずだというプレッシャーがやってくる。それよりはお前はこういうのを面白がってるんじゃないの?といわれて、じゃあ、行くとこまで行ってみようという風に、プレッシャーから逃れて無責任にやればやるほど、人物はチャーミングになったり、人が面白がってくれたりするんですね。」
――桃井かおりさんや小松政夫さんとは、二人芝居も上演なさっていますが、一人と二人とでは大きく違いますか。
「全然違います。バーチャルとリアルという言葉がありますけど、まさしくそういうことですね。ただ、二人芝居になると、どうしても予定調和になりがちで、そういうとき、二人でハッとするんですよ。ヤバイッ、俺たち、馴れ合ってるじゃん。予定調和やったら意味ないじゃんってね。お互い口には出しませんけれども、肌で感じ合いながら、常に磁石のSとS、NとN、反発し合うような関係のライヴが理想です。」
――『イッセー尾形・ら』というチームで、全国でワークショップを展開されてますが、イッセーさんはどのようなカタチで参加されていらっしゃるのですか。
「僕は主にフィジカル・トレーニングですね。歩き方とか、体型とか。人が変われば歩き方も変わるんだという、そんな肉体的な導入部を受け持っています。導入部とはいいつつ、でも、実は僕の中の長年の経験では一番支えになる部分でね。自意識というとても厄介なものがある。でも、しゃべり方を変えると自意識がどこかに行く。さらに歩き方を変えると一見不自由なんですけど、不自由さの向こうに自分が思ってもみなかった自由さと出会える。そういう経験があるものですから、それをみなさんに体験してもらいながら、じゃあ、一人一人の自由さって何だろうとかね。普段考えてもみないことを考えてもらえたらなと思います。」
――『イッセー尾形』という名称は、一個人の芸名という枠を超え、創作活動であるということから、登録商標にされているそうですね。
「抽象的な話になってしまいますが、僕らのやっていることは、個人の創作というよりも、創作そのものであると。小理屈をいうと、形而上の仕事をしているんだという自負心はあるんです。それでそれをどう具現化しようかと調べたら、どうやら登録商標に行きあたるだろうということになったんですね。昔、レンブラントとか、ダ・ヴィンチには工房としての名はあっても、個人名を問われない時代があった。ルネサンス以前はみんな職人で、その後、その仕事が誰によるものかという、名前にとらわれる時代になったんです。いってみれば、私たちがやってることは逆ルネッサンスですね。(笑)」
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イッセー尾形プロフィール

役者。1971年大学受験に失敗した後、新宿の演劇学校で演出家の森田雄三と出会い、演劇活動を始める。80年現在の一人芝居の原型となる『バーテンによる12の素描』を上演。翌年日本テレビ『お笑いスター誕生』で金賞受賞。以降、『イッセー尾形のとまらない生活』シリーズで脚光を浴びる。92年より国内各都市で公演をスタートし、94年ニューヨークで初の海外公演も行う。独自の公演システムを展開し、国内で年間120ステージ以上、同時にロンドン、ミュンヘン、ベルリンを拠点に海外公演を毎年定期的に行っている。また、『ヤンヤン夏の思い出』(99年台湾)、『トニー滝谷』(2004年日本)、『ソンツェ(太陽)』(05年ロシア)などの映画に出演のほか、小説やイラストにおいて才能を発揮。52年福岡県生まれ。